落慶式の日(3日目)

~ゾクチェン・リンポチェとゾクチェンの中心メンバー~

翌日20日、いよいよオープンセレモニーだ。
リンポチェから音を屋外にも大音量で鳴らし、室内でも1階の音を2階~3階にも流さないといけないと言われたが、いったい何人がくるのかと半信半疑であった。11時のセレモニーに向けてチベット人、僧侶たちが続々とサンド・パァリに詰め掛けてきた。
リンポチェの指示で偉大なラマを出迎えるための、チベット風トランペット(ギャリン)が主旋律を奏でる音楽を大音量で外に流した。
ゾクチェン・リンポチェを先頭とする僧侶の一団がサンド・パァリに近づいてきた。パトゥル・リンポチェのほとんどの弟子がカタを手にして、門からサンド・パァリの階段にかけての両脇に長い列を作って出迎えている。
門の外で出迎えたパトゥル・リンポチェがゾクチェン・リンポチェに挨拶をし、ゾクチェン・リンポチェと並んで歩いてきた。
ゾクチェン・リンポチェらはそのままサンド・パァリの階段の上まであがってきた。
サンド・パァリの北側の階段に演台を設置する。そして階段の下にチベット人、外人たちが並ぶ。
11時となり、ドゥクパ・クーシュン・リンポチェがまず開会の挨拶を行った。
そしてゾクチェン・リンポチェが開会の挨拶をチベット語で行い、その後、おそらくクリス(日本にゾクチェン・リンポチェと一緒に来たイギリス人のお弟子さん)が訳したと思われる英語の原稿を読み上げた。
続いて、ケンチェン・ウジェン・リンジンがチベット語で挨拶を行った。その挨拶をゾクチェンセンターのベルギー本部のセンター長であるマチユが英語で訳す。ただチベット語のスピーチに比べてだいぶ短かかったので、会場に笑いが起こる。
次にマチユ自身が弟子の代表として挨拶を行い、最後にパトゥル・リンポチェがチベット語と英語で挨拶を行った。
自分は、サンド・パァリの1階にあるオーディオセットの前でオーディオ機器を操作していた。幸い、チーム一丸の努力により、オーディオは音量も十分、音質も十分であった。※セレモニーのあとでパトゥル・リンポチェからも誉めてもらえた。
挨拶が終わると続いてパトゥル・リンポチェが主催する孤児院の子供達による踊りになった。楽器は孤児院の先生方による生演奏だった。踊り手は男の子も女の子も、袖が長く、手の平よりもさらに長い。その長い袖の部分を振りながら踊るのが、チベット舞踏の特徴であり、踊りの重要な要素だ。

また後から聞いた話では、この開会セレモニーの際に1匹の鹿がやってきて、いつまでもさらなかったそうだ。鹿は、ブッダ・シャキャムニがサルナートの地で、初転法輪を転じた際、4人の比丘のほか、鹿が集まって教えを聞いたという逸話から、仏教の象徴とされる動物だ。ゾクチェンでは鹿は珍しい、そしてこのとき以外、一度も鹿を見かけることがなかった。

つづいてサンド・パァリの出入り口の前で、飾りのついた赤い紐が渡され、それをゾクチェン・リンポチェ、パトゥル・リンポチェ、ケンチェン・ウジェン・リンジン、ドゥクパ・クーシュン、チョーリン・リンポチェで同時にテープカットされた。

テープカットが終わると僧侶達が内部にぞくぞくと入ってきた。ゾクチェン・リンポチェが玉座に座った。サンド・パァリの奥の祭壇に巨大なグル・リンポチェが設置されている。出入り口から奥のグル・リンポチェまで部屋の中央に、赤いカーペットを敷いた通路となっている。玉座はグル・リンポチェを左腕側にする通路脇に設置されている。グル・リンポチェの下、グル・リンポチェを背にしてトゥルク達が並んだ。中央がケンチェン・ウジェン・リンジンと(2002年に来日された)チョーリン・リンポチェ。チョーリン・リンポチェの横にドゥクパ・クーシュン・リンポチェ。今のゾクチェンでは彼らが中心となって運営されているようだ。(※全員当センターのゾクチェン寺のホームページに紹介済み。なお、この日来られなかった有力なトゥルクもおられるかもしれない)。その両脇に他のトゥルク達が並んでいるが、ご法名は残念ながら存じ上げない。
サンド・パァリに集まったのはすごい人数だ。リンポチェの予想をさらに超えていた。2階にも3階にも、そして1階を取り巻く外の回廊にも僧侶が溢れている。1階は、グル・リンポチェから見て右半分のフロアー全てが僧侶で埋まり、左手も2列目までが僧侶で埋まっていた。その後ろにパトゥル・リンポチェの弟子達が並んだ。またチベット人、中国人の在家の方々が出入り口とサンド・パァリの周りに溢れた。結局2千人位がきたらしい。
自分は例によって、玉座に近寄り、マイクの位置を調整しようとした。玉座に座ったゾクチェン・リンポチェが私を見ると笑顔で「おお」とおっしゃって会釈をしてくださった。日本でゾクチェン・リンポチェのセミナーを開催し、今パトゥル・リンポチェの弟子としてゾクチェンのサンド・パァリで再会できた。なにか自分の立場をはっきりさせていることを自分でも誇らしく感じた。
リンポチェがマイクを「メイビー・ノー・ニード」と私にさえわかる英語で言ってくださり、リンポチェの右手2人目のウンゼ(声明を唱える方)にマイクを渡すよう手振りで指示してくださった。
リンジン・ドゥパのツォク(供養会)が始まった。ゾクチェン寺での正規のウンゼの声明がお寺全体に響きわたった。声明がさすが透明で美しい。ニンマの声明は低い声で唱えたり、ことさら高い声で唱えたりせず、ナチュラルな声で唱える。それが自分にはとても心地がいい。
ツォクは正式には「ドルジェ・ロポン(金剛阿闍梨)」「ウンゼ」「チューポン(儀式マスター)」の3者によって行われる。
ドルジェ・ロポンは完璧な観想を行う。今回はゾクチェン・リンポチェがその役割だ。ウンゼは完璧な声明を唱える。チューポンは完璧な儀式を行う。東京ゾクチェンセンターでは、人材がいないので、リンポチェ自身がドルジェ・ロポンとウンゼを兼ね、チューポンだけはペマなどの弟子が行っている。

リンポチェの弟子たちは配られたテキストを読みながら声明を唱えていた。テキストを編集したペマによれば今回はパトゥル・リンポチェの意向でサンドパリ・モンラムなどを加えた特別ヴァージョンだということだった。
さて、ツォクが始まって1時間位すると突然、ゾクチェン・リンポチェが玉座の上に立って、袈裟を身体に巻き直した。僧侶達も同じように立って、身づくろいをはじめた。ゾクチェン・リンポチェは玉座から降りると外に出ていった。僧侶達もゾクチェン・リンポチェに続いてぞろぞろと出ていった。
自分だけでなく、多くの外国人の弟子達がこの行動は理解不能だったようだ。何が起こったのかよくわからず戸惑っているようだ。
サンド・パァリをコルラして加持でもするのかなと思ったら、僧侶達は三々五々にサンド・パァリからも出て行く・・・結局お坊さん達の行動を観察して、導きだされた結論「休憩」だった。今回のツォクでは供養の時間のほかに前半と後半に1回ずつ休憩が入った。さすがチベット仏教、極端に自分を追い詰めてなにかを見出そうとするのでなく、リラックスした先に何かを得ようとするのだろう。
15分位して僧侶の皆さんが戻ってきて、ツォクが再開された。再開されてしばらくしてツォク(供養)が配られ始めた。お菓子やパンでいっぱいになった成人男性の頭より大きいナイロン袋(中国製なので、破けている)が配られた。そして何よりも驚いたのは、トゥルマだった。女性の頭位のトゥルマが1人1つづつ程度配られた。あとでペマから聞くとリンポチェは参加者にいっぱいの供物を配るのが夢だったそうだ。
トゥルマはツァンパとバターと砂糖を練り上げ、赤で着色したものだ。日本のツォクでも手で握れるサイズのものを作るが、会場から屋外に餓鬼や護法尊などの供養に与えられる。私はトゥルマは儀礼的なものと思い込んでいて、正直トゥルマがチベットでは実際に食用に供されるということはこのとき初めて知った。またあとで美味しそうにトゥルマを供養(食べる)するチベット人との味覚の相違を実感した。
儀式が進んで祭壇のトゥルマがドルジェ・ロポンに捧げられた。さすが本場、見事な造りだ。
あとでペマに聞くと今回のトゥルマはラマ・テンダが作ったとのこと。
ラマ・テンダとパトゥル・リンポチェは、トゥルマを習った師(故人)が同じだそうだ。ゾクチェン寺は儀式においてはニンマの六大寺院の見本になるお寺である。なかなかこれだけのできばえのトゥルマを見ることはないだろう。

このような感じでツォクは終わり、ゾクチェン・リンポチェを先頭として引き上げていった。チョーリン・リンポチェが通る際に、通路脇にいた私とペマを見て、親しげな笑顔で、近寄ってきてくださり、挨拶をしてくださったのでとてもうれしかった。ゾクチェン・チョーリン・リンポチェは、グル・リンポチェの五大テルトン(埋蔵経を発掘者)の1人チョーギュル・リンパの転生者(トゥルク)で、ゾクチェン寺の六大持法金座の1つを任され、シュリー・シンハ仏教大学の理事長(オーナーの立場)であり、「ゾクチェンのシュリー・シンハの徳慶の慈悲病院」建立し、その医院長を務められるおられる。2005年4月にパトゥル・リンポチェの招きに来日され、『タンバ・スム(3つの清浄なるもの)』の教えを説いてくださった。またその際、「東京ゾクチェンセンター」こと「ゾクチェン・ド・ンガク・ダルジェ・リン」の祈願文も書いてくださった。
私達夫婦がとても尊敬し、慕っているリンポチェである。
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ゾクチェン・チョーリン・リンポチェ
ゾクチェン・ド・ンガク・ダルジェ・リン」の祈願文
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ところで後から聞いた話だが、白人を中心に130人もの弟子がゾクチェンのようなチベットの奥地に集まったことに、ゾクチェンのラマはとても驚いたということだった。またその白人がちゃんとマントラを唱えたり、手印を結んだりするということにも驚いたということだった。
セレモニーが終わり、夕食のあと弟子たちでパーティーを行った。
そのときの思い出もあるが実際に参加されていない方々には、それほどの興味を惹く話ではないと思うので割愛する。
方針としてこのあとも、読んでくださる方にとって、面白いと思われる部分だけを文書にしたいと思う。


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