ペマ・タン(6日目-2)

~アチュン・トクデンと虹の身体~

ペマ・タンを出て、ペマ・タンの中に入れてくれ、案内もしてくださったお坊さんに皆でお礼を言った。
私は、『さあ、次はアチュン・トクデンのストゥーパだ!』と意気込んだ。
そのときファリネッリさんが前から話しをしていたペマ・タンから見て右手の山の斜面にある建造物を示して、「あれは何ですか?」とお坊さんに聞いた。
お坊さんは「あれは虹の体を得た聖者が修行をしていた洞窟です」と答えた。
「虹の体を得た」と聞いてファリネッリさんが眼を輝かして聞いた。ツボにはまったらしい。
「なんていう方ですか」
お坊さんが名前を言ってくださったが、日本人にはよく聞き取れなかった。「・・・リンジン」とか言っていた。
「あそこはお参りできるんですか」とファリネッリさんが食い下がる。
「弟子がいて管理している。その人の許可があれば入れる」ということだった。
「弟子がいるって、つまり最近の方ってことですね!」とファリネッリさん。
「そうだ」
そこで日本グループは再度お坊さんにお礼を言い、お坊さんは宿坊に戻っていった。
ファリネッリさんが「虹の体を得た聖者だって、行こうよ!」と皆に言った。
自分としては不満だった。だって次は、アチュン・トクデンのストゥーパでしょう。
「じゃあ両方行こうよ。まず近いあの洞窟へ」というファリネッリさん。
しかし自分には不安があった。こんな高地であの洞窟に行ったら、正反対にあるストゥーパに行く体力・気力がなくなるのではと。さらにアチュン・トクデンの洞窟に行く体力・気力は残らないだろう。

「自分は自分のリネージ(系譜)を大切にする。だからストゥーパに行く!だってアチュン・トクデン⇒ペナク・リンポチェ⇒パトゥル・リンポチェだよ」と言い張った。
さらに言えば『アチュン・トクデン⇒ケンポ・トプテン・ロドゥ・ニマだ!』
「いいじゃない。両方行こう」と言う意見がグループの大勢だった。そしてファリネッリさんを先頭に歩きだした人もいる。
自分としては非常に不満だったが、団体行動が望ましいので、しぶしぶ虹の体を得た「何とかリンジン」の洞窟に向かった。
7分ほどの山の階段を登っていく。ペマ・タンのあたりは谷の奥で土地が狭まっており、ペマ・タンの横に湿地帯はなく、すぐ山の斜面だった。
予想通りすぐに息が切れた。『どうせ人っ子1人通っていないんだから』と階段の途中の脇にリュックサックを置いて、身一つで登った。
目的地の洞窟は、入り口を赤く塗られた壁でふさぎ、壁に扉を取り付けてあった。
仲間があけたドアに入っていく。チベット語通訳のパドメさんが中に座っていた若い(30歳後半か?)お坊さんにネコル(お参り)したいとお願いしたところ、笑顔で中に手招きしてくれた。
洞 窟の中には何枚かの写真が飾ってあった。洞窟は10畳ほどの広さで、丸い空間となっている。ベットが1つだけあり、そのベットの上にご高齢のラマの大きな写真が飾られていた。『見覚えがある』・・・「アチュン・トクデン!」私が叫んだ。洞窟の壁に飾ってある写真も見た。「アチュン・トクデン!」、「あっ! あれもアチュン・トクデン!」次いでにベットと反対の壁に飾られていた写真も若いときの「アチュン・トクデン!」だった。
「ほんとだぁ!」他の日本人も叫んだ。
1枚だけペマ・カルザン・リンポチェの写真があるが、あとの写真は全部アチュン・トクデン・リンポチェの写真だった。
お坊さんが「リーリー(そうだ)」と笑顔で静かに答えた。
『なんだ。こここそアチュン・トクデン・リンポチェの洞窟だったんだ!』
自分も皆もここがアチュン・トクデンの洞窟と知って、小躍りした。靴を脱ぎ、皆でアチュン・トクデンが座って瞑想をしていたベットに向かって五体投地を行った。
そしてベットの上にお布施をおいていった(すでに遺影の前にお布施があった)。
自分は洞窟の一番奥でなおかつ最前列に座り、ベットに膝頭をわざと付けた。
お坊さんが丸い洞窟の中心に元々座っていて、ベットに正対していた。そのお坊さんの三方を取り囲むように皆(総勢11人)が座った。
パドメさんの通訳でお坊さんの説明を聞いた。
自 分はアチュン・トクデン・リンポチェの晩年の世話をしていた弟子だ。この洞窟は以前からあり、多くの行者が篭ったが、アチュン・トクデンがシュリ・シンハ を卒業したあともここで何年か篭った。そのあと長い間でていき(中国の刑務所に20年間)、再びゾクチェンに戻ったとき、ここに居を構えた。
その後ペマ・カルザン・リンポチェが時々ここで瞑想をされるが、今はゾクチェン・リンポチェも来るようになった。
私はアチュン・トクデンとの縁を示すため「実はカンサル・ダンビオンシュ・リンポチェ(ペナク・リンポチェの正式名)を日本に招待し教えを受けました」と伝えた。
お坊さんは「おう。彼は間違いなくアチュン・トクデンの弟子です」と笑顔で答えてくれた。
Sさんが「この洞窟の壁はずっとこの色なんですか?」と洞窟の青く塗られた壁を示して尋ねた。
「いつからかわからないが、アチュン・トクデンのときはこの色でした」
また「アチュン・トクデンはどの位置に座って瞑想していたのか」と尋ねた。
「この遺影のあるところです」とベットの真ん中にある写真を示していった。
Sさんは窓から見える小さな窓を見、そこから見える山の斜面や空の様子を探っていた。Sさんはゾクチェンの本行の伝授を受けているので、何かそういうことに関係があるのだろう。

またファリネッリさんが「ここで虹の体を得た方というのは?」
「アチュン・トクデンのご友人で・・・リンジン」という方です。
その虹の体を得た成就者の名前は、よく日本人には聞き取れないので、文字で書いてもらっていた。
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後日、パドメさんが文字を読んでくれ〈メワ・ツェワン・リンジン〉ということがわかった。

日 本に戻ってから調べると、Mewa Khenchen Tsewang Rigdzinは、近年での虹の体の成就者として知られている。1883年にカムとの境にあるアムドのメワというところに生まれた。ミパム・リンポチェを 初め多くの聖者から教えを授かったが、主な根本ラマは、ケンチェン・ジグメ・ヨンテン・ゴンポであった。故郷のメワにシェダ(仏教大学)を建て多くの後進 を育てた。文化大革命の時代、メワ・ツェワン・リンポチェが刑務所に入れられるため馬に乗せられた。リンポチェはその馬の上でヴァジラ・サットヴァの真言 を唱えていたが、次第に上に上昇してしていき、ついには光と共に虚空に消えていったと伝えられている。
英語の履歴 又ニョシュルケンポが書かれたA Marvelous Garland of Rare Gems: Biographies of Masters of Awareness in the Dzogchen Lineage, Padma Publications, 2005, pages 472-474.にも詳しく記されています。)

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私が「5分だけここで瞑想をしてもいいですか」と尋ねた。快く受けてくださった。
そして皆で瞑想した。
・・・ 本当に素晴らしい空間のエネルギーだった。カンサル・ダンビオンシュ・リンポチェと接したときも思ったが、成就が高ければ高いほどエネルギーが強く、質が 高いので、凡庸な修行者でもわかると感じたが、今回も本当に凄まじかった。たぶん真面目にある程度修行している人なら誰でも感じられると思う。後で皆で確 認しあったが、生涯感じたことがない強くて、高貴な場のエネルギーだった・・・

いつまでもこうしていたかったが、たぶん7分位してパドメさんが「これくらいで」といい、皆、瞑想をやめ、お坊さんに皆でお礼を言った。Kさんが泣きじゃくっており、しょーらさんなど何人かの女性が涙を流していた。
お坊さんが静かにおっしゃった。
「皆さんがここにこられたのは前世からの何かの縁でしょう・・・(途中忘れた)・・・皆さんこれからも修行にがんばってください」
すごくやさしい声で自分も感動したが、Kさんらの涙がさらに強くなったようだった。

洞窟を出て、皆満足そうに、うれしそうに階段を下りていった。
(自分のリュックももちろん置いたところにあった)

ペマ・タンの前の広場に戻るとファリネッリさんに上体を思い切り折って心から「ありがとう!本当にありがとう!」と言った。心底、ファリネッリさんに感謝した。ファリネッリさんが「実は何キロも前からあそこに光を感じていたのでしつこく聞いたんだ」と教えてくれた。『ヘー・驚いた・・・』そんな遠くでは何の光も感じなかった自分は感心した。

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※ ただここで1つだけ読者に注意しなければなりません。この洞窟はゾクチェンでは大切にされていて、本格的に瞑想を行じてよいのは管理人のラマ以外は、ペマ・カルザン・リンポチェやゾクチェン・リンポチェのような高僧だけです。在家の者はお参りや5分瞑想はよくても何度も訪ねたり、ここで何十分も瞑想させ てくれというような空間ではないことはよく心得てください。
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「じゃ、次はストゥーパに行こう!」と皆に声を掛けた。みんな先ほどの体験からストゥーパへの片道10分の道のりは足は軽やかだったと思う。
ペマ・タンから見て左側の建物を抜け、ゾクチェンでは珍しい公衆便所の横を通り、川を渡る。この川はペマ・タンの方向から谷の中央の道と平行して流れ、途中 で道の反対側に移り、サンド・パァリのよこを通り、ゾクチェン寺を越えて谷外に出てゾクチェン村に流れていた。きっと下流になると揚子江へと流れていくの だろう。※揚子江の源流はチベット高原。
ペマ・タンは上流なので、川幅は比較的狭かった。川を渡ると疲れてきて、またリュックを脇に置いた。

草むらの中に巡礼者で踏み固められた通路を通り、ストゥーパを目指した。途中ヤクのフンが古い(乾いたもの)から出来立てのやわらかいものまで落ちているのを踏まないように気をつけながら山を登った。
アチュン・トクデンのストゥーパの脇には3つ位テントがあってチベットの僧侶が住んでいた。おそらくアチュン・トクデンのストゥーパの傍で瞑想をするためだろう。
そ していよいよ息も絶え絶えの状態でようやく、アチュン・トクデンの赤いストゥーパに辿りついた。私は感激で涙が出そうになり、そのストゥーパの前で膝立ち になり、礼拝し、ストゥーパに額をつけた。そしてコルラをした。小高い崖の上に建てられているので、コルラはし難かった。ストゥーパには写真が貼られてい た。間違いなくアチュン・トクデンの御影だった。
遅れていた皆もストゥーパに辿りついた。
皆、ストゥーパに額を付けたり、コルラしたりした。自分もパドメさんと「ここくらいは正式に3回コルラしましょうか」と言い合い、3回コルラを実施した。何しろ日本グループはゾクチェン寺でもペマ・タンでも高地を言い訳にコルラを1回しかしなかったので。
巡 礼が終わり、帰るときに、ストゥーパの近くにテントを立ているラマがホースから流れる清水を私達に勧めてくれた。ファリネッリさんがうまそうに水を飲ん だ。『おいしそう』と思い、自分も近づいたが、ふと思い直してパドメさんに「こういった生水は飲んでいいんですかね?」と質問した。
パドメさんが「こういうものは誰も保証することはできない。飲んでみて大丈夫かもしれないし、ダメかもしれない。自分で決めるしかない」と言われた。ヘトヘトになっていたので、冷たそうな清水をぜひ飲みたかったが、帰国も近づいているので、万一を考えて思い留まった。
その後、ファリネッリさんはお腹を一切壊していないので、結局飲んでも大丈夫だったようだ。

以上でこの日の観光は終わり、サンド・パァリに戻った。この日の夜の講話の最後に、とうとう待ちに待った知らせがパトゥル・リンポチェから知らされた。
「明日。9時から私の根本ラマのドゥクパ・リンポチェがご自宅で皆さんと30分だけ会ってくださる。明日7時から朝食で、8時に出かけましょう」と。
世界中の弟子から歓喜の声が聞こえた。
皆ドゥクパ・リンポチェに会いたかったんだ。リンポチェのお写真を見て、あるいはビデオを見て、皆ドゥクパ・リンポチェがすごい境地を得た成就者であると感じていたのだろう。
自分も『ついに夢が適う!』と心からうれしかった。何度もドゥクパ・リンポチェに頼んでくれただろうパトゥル・リンポチェに心から感謝した。


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