ドゥクパ・リンポチェ(7日目-1)

~大成就者~

その夜、サンド・パァリの2階で寝袋に入りながら、明日のドゥクパ・リンポチェのことなどを半覚醒の状態でいろいろ考えていた。そのとき「そうだ!明日はどの国のグループより早く出発して最前列を陣取ろう。ドゥクパ・リンポチェのご自宅がどれくらい広いかわからないが、130人もいるんだ。後ろになったらほとんど見えない。部屋が狭くて入れ替え制になるかもしれないが、その場合でも最初のグループの最前列だけはリンポチェの近くに陣取れる。そしてこんなに大勢いるんだ、移動に車が出ることは考えられない。移動の手段は歩きしかない。早くでた者勝ちだ」と閃いた!
名案と思い、『う~ん!なんと仏教徒らしからぬ自己中心的思考か!喝!!』ということは考えないようにした。
朝目覚めると日本のメンバーにその考えを伝え、「というわけで自分は食事が終わったらすぐに出ます」と伝えた。皆賛同してくれ、そうしようということになった。
食事のあと、少しもたもたし、またペマがちょっと遅れていく(前にラマ・テンダに連れられて3人きりで会っているし)といったこともあり、実際、出発したときは何組かに先を越されてしまった。
「最前列を陣取る!」という目的を果たすための日本人のグループの行動が始まった。
日本グループは前のグループより少しだけ早歩きし(競争にならないようにわざと早く抜きすぎないように)、追い抜くとき、相手は大抵ロシア人だったので、「ドブラ・ウートラ(おはようございます)」と満面の笑顔でさわやかな挨拶をし、内なる『最前列を取る!』という魂胆を見抜かれないようにした。
追い抜かれる方も「ドブラ・ウートラ」と仏教徒らしい友好的な笑顔で返してくれ、幸い、どのグループも早足で追いかけてこなかった。
ただ1つ問題があった。ドゥクパ・リンポチェの家はゾクチェン寺の近くというのは間違いないが、どこだか特定できないことだった。寝てるときのアイディアでは、片言のチベット語のできるペマにゾクチェン寺に近づいたら尋ねさせる計画だったが、考えてみると今ペマがいない。この問題が解決できなかった。

ところがふいに解決した。メインの道路からゾクチェン寺に向かう道路に曲がってしばらくしたとき、後ろから車の警笛が聞こえた。パトゥル・リンポチェの車だ!
先頭を歩く日本人、ロシア人を見てリンポチェが笑顔を向けてくれた。私たちを追い抜いたリンポチェの車が向かった先「そこはドゥクパ・リンポチェの家のはず!」
そう思うと私は最後の力を振り絞って、車の後ろを走り出した。他の日本人も走っている人は走っているし歩いている人もいるが、それは各人の考え。『俺は絶対最前列で会いたい!』と強く祈願していたので、全力で走り、先頭を取った・・・しかし残念、すでに5人位ドゥクパ・リンポチェの家の前に立っている人達がいた。ベルギー、ロシアの人が多かった。
すでにドゥクパ・リンポチェの家を把握して、計画的に早々に出発していたようだ。残念!
ただ、まあ2人づつ並んで、前から3列目に並ぶことができた。他の日本人も走ってきて前のほうに並んだ。結局前の方は、ベルギーグループ、日本グループ、ロシアグループの人が占めた。『う~ん、執念!』
ペマも思ったより早くついた。自分の奥さんということは皆知っているので、特権で隣に並ばせたが、文句は言われなかった。

リンポチェが2階の窓から腕を振って「こい」と合図した。
1階の階段下で靴を脱いで階段を登る。奥の部屋についにドゥクパ・リンポチェがおられた!
ベットの上のドゥクパ・リンポチェの前に先頭の弟子達が並んでカタを捧げていた。
自分はあえて列に並ばず、部屋の一番奥に入り、五体投地をし、ビデオカメラを準備し始めた。ただし視線はドゥクパ・リンポチェに向け、ゆっくりと準備した。ビデオカメラにガンマイクをつけて撮影の準備ができたが、位置が逆光だったので、部屋の反対側の窓の傍のベストポジションに移った。ちょうど先頭グループが終わり、日本グループが加持を受けるとき順番だった。ばっちり撮影することができた。弟子達がカタを捧げるときドゥクパ・リンポチェの傍らにたったパトゥル・リンポチェがこの弟子がどこの国からきてどういう人なのか簡単に説明をされていた。
ドゥクパ・リンポチェは笑顔でカタを受け取ると弟子たちにカタを掛け、右手に持ったペチャを弟子の頭頂に押し当てて加持をしてくださった。そしてリンポチェのB5サイズ位のお写真と、パッケージにリンポチェのお姿が載っているDVDを渡してくださった。
本当にドゥクパ・リンポチェのお姿は神々しかった!
近くにいて涙が出た。以前、カンサル・ダンビオンシュ・リンポチェと出会ったときに自分が立てた私説『悟りが深ければ深いほど、その境地は、大勢の人にもわかるようになる』説を、自分の中ではさらに確信を深めた。一目そのお姿を見るだけで、慈悲の光に全身が包まれ、心臓が温かくなり、『心』の奥底から涙がこぼれていく。
本当に、本当に、今生会えて良かった!まさに悟りとは何か、慈悲とは何か、空性とは何か、仏、菩薩とは何か、ゾクチェンの成就とは何か、それを体現され、ダイレクトに見せてくれた。自分が入り口をうろついている仏道というものがどれだけの境地を得る「可能性」があるのかを証明してくれる。その最終地点を生きた見本として見せてくれる。まさに「ゾクチェンの大成就者」だと感じた。まだまだお元気そうであったが、すでに81歳であり、本当に貴重な機会だ。
このようにビデオ撮影を口実にして、ドゥクパ・リンポチェの部屋にできるだけ留まっていたかったが、日本のグループの加持が終わり、さすがに潮時と思えた。ビデオ撮影をやめカタを捧げる列の後ろに並んだ。撮影を止め、合掌してドゥクパ・リンポチェをずっと見ていた。日本の世話人としての撮影の義務は果たし、あとは自分の目と心にドゥクパ・リンポチェを刻みつかたかった。慈悲の光を感じたかった。

 

自分がカタを捧げる番となり、前述のようにパトゥル・リンポチェが紹介してくださり、ドゥクパ・リンポチェが笑顔でうなずいて、ペチャで頭頂に加持をしてくださった。心の底からうれしかった。このような大成就者と今生相対し、僅かではあっても縁を生じさせることができたのだから。
後ずさりをしてリンポチェに背中を見せないように、またリンポチェに目を遣りながら、部屋を出ていった。
リンポチェがいる奥の部屋から出る。階段から見て手前の部屋に出たが、その部屋にもカタを捧げる長い列があった。
カタを捧げ終わると立ち去った人もいたが、何人かが、まだその手前の部屋に留まっていた。日本人も多く留まっていた。自分も立ち去りがたく、また何かこのあとあるやもしれないと考え残ることにした。それも奥の部屋のドアに一番近い位置に座った。日本人のグループの多くも私の近くに座る人が多かった。部屋には大きいストゥーパがあり、部屋にいたラマかドゥクパ・リンポチェの根本ラマのストゥーパと教えてくださったが、根本ラマがどなたかは聞き取ることができなかった。ただ部屋にはゾクチェン5世とケンチェン・ジグメ・ヨンテン・ゴンポのお写真があり、ご自身もゾクチェン寺に学ばれていたので、どうもこのあたりが根本ラマかもしれない。
あとで聞いた話だが初めの方はドゥクパ・リンポチェに向って五体投地で三拝を捧げることができたが、途中から時間がなくて、加持だけになった。またドゥクパ・リンポチェもあまりのパトゥル・リンポチェの弟子の多さに驚いたそうだった。

弟子全員の加持が終わるとパトゥル・リンポチェが奥の部屋から出てきて、なんと!弟子達にもう一度、奥の部屋に入るように手招きした。
それを見ると皆が一斉に立ち上がった!幸いもっとも入り口の近くに座っていた自分は真っ先に部屋に飛び込むことができた。そしてドゥクパ・リンポチェの真正面に座り込むことに成功した!
他の日本グループも私の後ろあたり、ドゥクパ・リンポチェの真正面の2~4列目に陣取っていた。まさに日本グループの執念の『勝利(?)』だった。

ペマは部屋の一番奥の最前列付近から立って、カメラで動画を撮影したが、20畳位の部屋は日本グループとロシアグループが前列を占め、部屋の中に入れない弟子が大勢溢れたということだった。

ドゥクパ・リンポチェからジグメ・リンパの短いテキスト『一切智の街への入り口。真の言葉を達成するための祈願文。』の伝授(ルン)をいただいた。やさしい音の波動が空間を満たし初めた。※ちなみにペマがルンの全詩唱のビデオ撮影に成功した。
ル ンの間、自分は慈悲の光そのものの存在を目に焼きつけようとドゥクパ・リンポチェに集中した。慈悲の光に満たされた空間に全身が包まれ、心が涙していた。 両脇に目を遣ると、最前列を真っ先に陣取った他の弟子たちも、食い入るように、泣きそうな目でドゥクパ・リンポチェを見つめていた。
会場のあちらこちらから女性がすすり泣く声が聞こえてきた・・・Kさんはまたも大泣きしていた。
ルンが終わり、とうとう別れのときが来た。今生、果たして二度とお目にかかる機会があるのだろうか・・・
皆が部屋をゆっくりと去っていった。私はドゥクパ・リンポチェの傍らに立っているパトゥル・リンポチェのところに行き、「トジェチェ、カティンチェ!」と手を合わせ、頭を下げた、パトゥル・リンポチェは頭を抱きしめてくれた・・・また目に涙が溢れそうになった・・・

ドゥクパ・リンポチェの家を出ると日本グループで集まり、互いの感動を言い合った。
「皆同じ仏性を持っているというのが仏教の教えだが、とても自分と魂が同じとは思えない」とか。私は「どうしたら人間があんな境地に辿りつくことができるんだろう」と言った。
ペマが「それは、刑務所に入って、拷問されて・・・、それでも・・・」
そ うなのだ。ドゥクパ・リンポチェも刑務所で長い間苦労された。アチュン・トクデン・リンポチェ、カンサル・ダンビオンシュ・リンポチェ、あるいはガルチェ ン・リンポチェなど刑務所で大いなる成就を得られた方がいらっしゃる。良いか悪いかと言えば、絶対に良くないことであり、不幸なことであり、理不尽なこと だ。
ただ明日の命も確実でなく、いつ出られるともわからず、過酷な労働という極限状態の中でこの聖者達は修行を極め、類まれなる成就を得られた。今私達はその慈悲の光を浴びている。

私とペマは2003年に東京ゾクチェンセンターを始めて以来、(当初まったく予想をしていなかったの ですが)亡命チベット世界の仏教ではなく、不思議とチベット本国の仏教のラマとばかり縁が生じた。またなぜだか、自分達夫婦共チベット本国の師に心が惹か れる。他団体が招待する日本によく来られる師の中では、なぜかガルチェン・リンポチェに一番心が惹かれるのだが、ガルチェン・リンポチェも現在は亡命して いるものの、元々はチベット本国で修行され、その後、刑務所の中で大成就者(故)ケンポ・ムンセルを根本ラマとして大いなる成就を得られた方だ。
チ ベット仏教では、自分の縁のある教え、縁のあるラマにつきなさいと説かれる。各人にはそれぞれの縁があり、亡命チベット世界の仏教もとてもすばらしく、そ こに縁を感じる方も大勢いらっしゃる。自分達夫婦はこの東京ゾクチェンセンターの活動を通じて、このようなチベット本国の仏教の選択肢も日本の皆様に提供 できれば本望と考えています。


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