ケンチェンの講伝(8日目-1)

~ケンチェン・ウジェン・リンジン~

翌日26日、10時にケンチェン・ウジェン・リンジンがサンド・パァリに来た。
ウジェン・リンジンの教えは何年も前から聞きたいと願っていた。会いたいというより教えを授かりたいという希望だった。ケンポ・トプテン・ロドゥ・ニマに聞いたところではケンチェンとはゾクチェンの教えを含め完全に教えを説けるという認定だそうだ。ケンチェンへの道は険しい。シュリ・シンハ大学を卒業してもケンポになれるとは限らない。特別な試験に合格して、また一定の成就の証を示すことができれば、ケンポと認定される。その中からケンポとしてシュリ・シンハに留まり、長い年数シュリ・シンハで教えを説き、その上で長老達の厳格な認定で、初めてケンチェンとして認められる。シュリ・シンハ大学が文化大革命後に再興されてから、ケンチェン・ウジェン・リンジンまで5人しか認定されていない。それもどうも大学長になったときにケンチェンとして初めて認定されたようだ。ケンポの認定書は紙1枚だが、ケンチェンの認定書はタンカのような表装だそうだ。
ウジェン・リンジンが4年の任期を終えられ、今の大学長Thupten Nyendruk Rinpoche が大学長になるときに新たなケンチェンとなった。

ゾクチェン・リンポチェ、ドゥクパ・クーシュン・リンポチェと言った現在ゾクチェンの中心的指導者でも今のところケンチェンではない。
現在、ウジェン・リンジンは、大学長ではないが、未だに請われてシュリ・シンハで仏法を説いている。またパトゥル・リンポチェとは、大親友の関係で、お互いを認め合い、金剛兄弟とお互いを呼び合っている。

法話が始まった。四聖諦について、説明を始めた。初め、ベルギーセンターの弟子が英語通訳を試みていたが、うまくいかず、結局パトゥル・リンポチェが英語通訳をするようになった。贅沢で絶対に信頼できる英訳だ。
講話の内容は基礎的なことだったが、ケンチェンだけあって、とても明確でわかり易く説いてくださった。
ただ教えの内容を要約することは難しいので、割愛する。なお、このときの説法は全部ビデオに撮られているので、もし希望者が多ければ、東京ゾクチェンセンターとして、いずれ法話ビデオを流す機会をもうけるかもしれない。

休憩の最中、以前、ケンチェン・ウジェン・リンジンにお会いしたペマとパドメさんと共に玉座まで挨拶に行った。
法話中は2重通訳の兼ね合いで最後列だったので、よく拝顔できなかったが、近くでケンチェン・ウジェン・リンジンをみるととてもやさしい目をされていた。やはりゾクチェンで尊敬を集めているだけのことはある。


さて、法話が終わり、ウジェン・リンジンとパトゥル・リンポチェは今日もドゥクパ・リンポチェの伝授に行かれた。
昼食の際、今日はいよいよシュリ・シンハと思ったが、この日も晴天で真夏の太陽が照り付けていたので、ペマが行くのをいやがった。夜の法話が終わってすぐ20時から食事をとらずに行こうと言い出した。ここは緯度は日本よりずっと南にあるため(何しろインドの隣国)、日が暮れるのは21時位だった。「でもその時間にシュリ・シンハは中に入れるの?」と私はペマに聞いた。「開いてるよ」ということだった。ペマが行かないと解説をしてもらえないし、確かに昼間に行くのは疲れるので、そうすることにした。

すると、おとといペマ・タンに(疲れていて)行かず、私と一緒にあさって出発予定のこんこんさんがアチュン・トクデンの洞窟の話を親友のファリネッリさんか ら聞いて、どうしても行きたいと言った。それでこんこんさんとファリネッリさん、それにSさんの3人が食後にペマ・タンに向かった。ケンチェンは18時にまた来られ、また教えを説いてくださった。午前中と合計で4時間以上教えを聞くことができた。しかもこの聖地ゾクチェンで聞くことができた!長年の望みがまた1つ実現し、とても満足した気分だった。これであとは、シュリ・シンハに行きさえすれば、短い滞在期間ではあったが、「行きたい」ところに全て行き「会いたい人」に全てあった、満願成就という気持ちだった。


 

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