ブレッシング(2日目)

~ケンチェン・ウジェン・リンジン~

翌朝、日が昇ってサンド・パァリに登ってみると、中が見事に綺麗に片付いていた。2階も3階も同様だった。
このことは他のチベット人でも不思議だったらしく、後にリンポチェから聞いた話では、いろいろなラマから、「あなたは人間以外の精霊も集めて作業をさせたに違いない」といわれたということだった。

オーディオの方も、朝からチームみんなで作業を始め、幸い11時までは準備を終えた。
さて11時過ぎになって、ついに大勢のラマたちがサンド・パァリに入ってきた。
先頭のラマがパトゥル・リンポチェに誘われて玉座に付いた。
私はスタンドマイクの位置合わせに玉座まで行った。
オーディオの件で頭がいっぱいになり、気持ちに余裕がなかったが、玉座に座ったラマにはなんとなく見覚えがあった。
ラマ達による加持の声明が続いた。オーディオも一応安定してきた。
そのときペマに確認すると玉座に座ったラマは「ケンチェン・ウジェン・リンジン」と教えてくれた。ペマがあった2003年当時より、ふくよかになっていたため、写真でしか見たことがない自分にはわからなかった。ケンチェン・ウジェン・リンジンは、パトゥル・リンポチェととても仲が良く、そして実力を認め合った仲であり、リンポチェ自身が金剛兄弟と呼んでいる。パトゥル・リンポチェがシュリ・シンハ大学で学んだ根本ラマである故ペンツェ・リンポチェの心の弟子(シンズー)である。ペンツェ・リンポチェが前ゾクチェン寺管主であるペマ・カルザン・リンポチェがペンツェ・リンポチェをシュリ・シンハに招いた際、弟子として一緒に来られたらしい。前シュリ・シンハ大学の大学長(34代)です。

シュリ・シンハの大学長の任期は4年で、その4年を終えたものの現在も請われてシュリ・シンハで教えている。
翌日の、オープンセレモニーでの演説の順番を見ても、どうやら若い世代のゾクチェンのトゥルクとしては、ゾクチェン・リンポチェに次ぐ席次のように思える。
チベットではダイエットの概念がなく、一般人でも太っている方がハンサムであり、ラマも太っている方が信頼されるお国柄では、まあこれも道理かと思った。自分が会いたかったラマの1人ケンチェン・ウジェン・リンジンとわかっていればもっとよく見たのに、と残念に思った。
加持の儀式は何時間も続いた。儀式が終わったらウジェン・リンジン・リンポチェに挨拶をしようかとも思ったが、高山の影響で体調が思わしくなく、またオーディオ関係が不調のため、儀式後にオーディオのメンバーで改善することに決めていた。
明日のセレモニーまでにはオーディオを完全に仕上げなければならなかった。そのボランティアを優先するため、昼は寝ることにし、その後挨拶をすることはできなかった。
あとからペマから聞いた話では、ウジェン・リンジンは、1階での加持が終わると2階、3階でも僧侶全員を引き連れて、それぞれ加持を行ったということだった。

 ここでサンド・パァリについて説明する。サンド・パァリはグル・リンポチェの銅色の浄土をさす。ニンマではこのサンド・パァリにある宮殿を模した建造物をよく境内に建てる。パトゥル・リンポチェがゾクチェンに建てたサンド・パァリも同じだ。サンド・パァリは北面に入り口がある。建物は3階建てになっている。
1階が一番広くて天井も高い。1階の奥(南方)には巨大なグル・リンポチェの像があり、左右(東・西)にもユムカ、などの像が祭られている。
2階と3階の入り口は東側にある。2階には三方(西・北・南)に観世音菩薩の像が並んでいる。3階の奥(つまり西側壁面)には大きな阿弥陀如来の像がある。つまり法身である阿弥陀、報身の観音様、応身(変化身)としてのグル・リンポチェを表している。
もちろんグル・リンポチェはペマ・ジュンネ(蓮華生)、パドマサンヴァバであり蓮華部に属すると考えられている。
外壁は、四仏に合わせて、赤(西)、緑(北)、白(東/日本では東は青)、黄(南)を基調として塗装されている。

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