January 14th. from Dharma City Belgium

Dharma City, 14th of January 2011
(2011年のドゥプチェンとシェダコースについて)

Hi,

皆様は
2011年のスケジュールをご覧になっていると思いますが、今年はかなり忙しいですね。しかし、シェダコース2つのドゥプチェンを行なわれることに幸せを感じています。

なぜと聞かれたら、「我々には教育が必要です」と答えます。教育がなければ、何を成すべきか、そして何を成さざるべきか我々が判らないままで残されていまいます。理解不足を解消すべく私たちはあらゆる世俗的及び精神的な主題を学ばなければなりません。そうすれば、様々な道の価値の有無を識別できるようになるのです。教育を受けることによって、世俗の行いと精神的な行いを正すことができるようになるのです。それによって、世俗の真理や究極の真理を探ることができるのです。

教養があれば、世俗の現実を見つけ出すために、世俗の現実を分析することができます。つまり、世俗の真実の真の意味、世俗の真実の源、世俗の真実の様々な要素の組み合わせ、世俗においてはどのように他に利益をなせるのでしょうか、世俗の現実の夢というものをどのように理解できるのでしょうか。今の世界は夢なのか、それともそうではないのか。もし、夢でないならば、世俗諦の現実の証をどのようにして見つけ出せるのでしょうか。すべてが夢幻なら、世俗の現実にどのようにして頼ることができるのでしょうか。

このような研究を通して、過去、現在、未来の世俗の真理を見つけ出せるでしょうか。三世の世俗諦を見つけ出せないならば、世俗の真理は一体どこにあるのでしょうか。どうやって探ればいいのでしょうか。確かに、三世の世俗の真理というものを見つけ出すことは不可能なのかもしれません。それでも、世俗な現実は顕現します。その現実を目の前に突きつけられた時、実体があるように見えるものです。それに触れることができるし、その現実と会話することができる、そこにアクセスすることができるし、現実を操ることができます。その機能は完璧です。しかし、どうやってと聞かれたら、答えを出せますか。

また、信じられないことに、世俗の真実を研究すれば、するほど、それがどんどん遠ざかっていくのです。一体、どうすれば、世俗の真理を捉えられるのでしょうか。捉えられないならば、この世俗の現実をどうして信じられるのでしょうか。この現実が本当に実体があると、どうして言えるでしょうか。実体がないとも言えないもの事実です。そうならば、私たちの世俗の人生、世俗の行い、世俗の因と縁をどのようにして営むべきなのでしょうか… 世俗の現実の充分の理解を得るための正しいアプローチを見つけ出すのに、私たちは勉強しなければなりません。

そして、そのアプローチを見つけ出したら、今後はそれについて熟考し、瞑想するのです。そうすれば、道と地(階梯)が進歩していくのです。それによって、私たちは徐々に究極的な真実に近づき、それを見出していくのです。間違いのない真実、ものごとの本質である真実、不変の本源なるあり方の真実…それが世俗諦と勝義諦両方から来る普遍の基盤と呼ばれています。究極的な真実は表現ができないので、考えも及びつかないといわれます。そこには偏りや、分け隔てがないです。一切の極論から離れていて、どこから見ても、それが完成しており、また平等です。寄り集った様子がなければ、分離された様子もありません。

この二諦を理解するために、私たちには教養が必要です。教養だけではなく、身・口・意の善き行いも必要なのです。善き行為、善き振る舞いは自分にも他人にもおおいなる利益をもたらすのです。それが今生においても、来世においても成功をもたらす生き方、幸福な生き方につながるのです。また善き行い・振る舞いは一切の不善、病、様々な障害を清めるのです。例を挙げるならば、自分の肉体をジムで鍛えているならば、様々な病気の予防になると言われてます。同じように、リンジンドゥパや金剛サッタなどの成就法という素晴らしきジムのマシンで自分を鍛え、身・口・意の病を癒すことができるに違いありません。このトレーニングを通して、身体や、言葉、心も美しいものになるのでしょう。

因果関係の観点から見ても、我々の様々な病気や、障害、問題には間違いなく原因があるはずです。その意味では、それらの原因を取り除く以外はないでしょう。ドゥプチェンという大法会を行うことによって、それらの因を絶つことができると我々は信じています。ドゥプチェンに参加するのは、器世間にも、内なる衆生にも、私たち自身にも大きな利益になります。なぜならば、これが完全に人間の慈悲に関係してしまうのです。ドゥプチェンの人間の慈悲によって、私たちは身・口・意の完璧な振る舞いを身に付けるように練習しています。

ドゥプチェンには、サンガの仲間が一緒に集まるという意味もあり、そしてその集まりのなかで、一切衆生にとって苦しみのない平安が来るように祈るのです。集まる仲間が一緒になって何かを実行しようと思うと、それが実にパワフルで、極めて効果的です。

たとえば、「この世に生まれたからには、この社会の一部である」と言う人がいます。しかし、1人1人バラバラだと、多くのことはできません。一緒に集まると、本当に自と他に利益になる何かを実行できると思います。一人で何かをするのと、二人が一緒になって何かをするのと、結果はまるで違ってきます。

私がフランスのカマンベールを300キロを得たとしましょう。そのチーズが大好きなので、自分の家に運びたいが、一人だけでは運びきれない。「助けましょうか」と尋ねる人がいて、その助けを受け入れ、おいしいチーズを車に運んだとします。一緒だと、運ぶのは苦痛ではなかったし、また食べるときも、その方と、チーズを分けて楽しんで味わえます。一緒に幸せになれます。

つまり、そういうことです。皆様が自分の人生や持ち物を人とシェアしたり、自分の知識や生活スタイルをシェアしたりすると、完璧な家を作れるのです。ハハ。そのようなことに興味がありましたら、一緒にやりましょう。
もちろん、興味がない方もいるでしょう。そのような方に、圧力をかける必要はありません。

また、私自身も、仏の教えに基づき、金剛乗の正式なやり方に従って完璧なドゥプチェンを行うにはどうすればいいのかということに深い関心を持っています。昨年の秋にチベットを訪問する際、自分の根本ラマをはじめ、大勢のラマと一緒に様々な成就法を再確認し、手印や、節回し、成就法の読み上げ方、楽器の鳴らし方、曼荼羅づくり、サンガが集まる本堂の飾り方などたくさん勉強をしました。新しい発見がたくさんありました。将来においては、ここで様々なドゥプチェンを皆様と一緒に行うことができたらいいなあと思っています。

この手紙は長すぎるかもしれませんが、それによって、少しくらいあなた方の道がよくなることに役に立つかもしれないし、我々にどうしてシェダ(ゾクチェン修行者の6年間コース)とドゥプチェン(大法会)が必要なのか、その理由が見えてくるかもしれません。

心の奥底から皆様に、自分の愛情、皆様の願いがかなうような祈願、私の功徳、何年も何年も皆様の人生には幸せと慈悲が尽きることがないように、私の持っているすべての良きものを捧げます。

今、私はダルマ・シティにいながら、寝たり、食べたり、自分の電化製品の修理をし、自分自身の欠陥を見つめています。

私の長寿の生命様、この手紙を読めますか。
私の愛しき仙人様、この手紙につながることができますか。
私の心のメッセンジャー、この手紙のミスを直してくれますか。
誠実なあなた、自分の能力を失わないで、他の衆生に害をなさないでください。
私たちの肉体は別々にありますが、心はいつも不可分です。

ありがとうございます。あなた方に近いうちにお目かかれることを期待しています。
ニイマと呼ばれる狂者より

For original english letter go here.